みあげしのブログ

世間知らずが世間を知るまで

〜哲学〜フィードバック

はいどうも〜

水溜りボンドにハマってしまった成重です

今回は教育開発支援機構の須長先生に哲学の授業をしていただいたのでその振り返りをしたいと思います。

 

グループで話し合う前に、問いを立てる重要さや、哲学対話のルールについての説明がありました。

 

問いは思考力を支える「背骨」

何かモノを考えるときには初めに「ん?」というものが必ずありますよね。何も思わず考えることは出来ないです。

思考力を上げるにはモノに疑問を持つ機会を増やすことが必要です。

 

問いは「投げない鎧」を脱ぐための鍵

人は誰でも知識や価値観を持っています。

知識や価値観は一度身につくと消えずに他の見え方が出来なくなってしまいます。

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有名な絵を1枚。若い人とお婆さんに見える絵。初めてこれを見たときどちらかにしか見えなくて、説明されてあー!!ってなりました、どっちが先に見えたかは覚えてませんが😅

自分の価値観だけでは一方的な見方しか出来ません。

また知識も自分と親和性の強い知識とくっつき合うため、自分に似たものが吸収されてどんどん考えが硬くなってしまいます。おじいちゃんおばあちゃんで頑固で意固地な人って長い人生のなかでこういうことが起きてるんだろうな〜

 

長くなりましたが、そんな知識や価値観といった鎧を脱ぐために、当たり前だと思っていたものに問いを抱き、新しい考えをもつことが大切なのです!

 

 

ちょっとダラダラと話してしまったので本題に移ります!!

 

 

5グループに別れてグループディスカッションスタート!私たちのグループは3年3人、4年生の先輩と2年生が1人の5人チームでした。

3年は揃って利己主義反対派でしたが考え方が少しずつ違って面白かったです。

あ!ちなみに前回のブログで利己主義の意味が違うみたいなことになったけど、話に捉えられてる意味で考えて、ということでしたのでこのままの意味で考えます。

 

私は老人が言いたいことも分かるし、人間は利己主義で動いてることが多々あるだろうから全否定はしないけど、でも死にそうなお婆さんを助けて、それを利己主義って言うのは違うやんっていう人でした。バイト代わって〜と言われたときどうするかみたいに、考える時間があれば利己的な考えも浮かんでくるかもしれないけど、一刻を争うような即座の対応が必要な時などにまで利己主義を主張することは出来ないと考えました。

 

グループの中では、利己主義反対派の方が多かったけど、全否定というより

利己的になるかならないかは状況によるよね

でも状況がどうであれ、行動することに価値があるのでは?

行動に価値があるなら利己的な理由で動いたとしてもいいのではないか

↓ 

利己主義が根底にあれば愛も証明できる

利己主義を全肯定すると、無償の愛はどうなる?愛とは??存在するのか?

 

というように、愛の存在までも疑い始める結果になりました、、。

正直なところ愛が出てきたくらいからちょっとグループの話し合いも難しくなって煮詰まって、ついていくのに必死やった、、。

 

他のグループの発表聞いてみると、似たような意見があったり、全否定全肯定は出来ないみたいな感じで、皆同じように苦しんでいて、同じことを考えているのにそれぞれ違う発表になって凄い深いなあと思った。

特に分かりやすい!って思ったのは、まなたろグループの、根底には自分が居るんだけど、実際は行動を起こす時に、人間はそこまで考えてない、(三角形の頂点に行く前の時点で行動している)という考えでした。

後から考えたら自分のためだったかもとは思うけど毎回毎回自分のことだけ考える訳じゃないよな〜〜っていうのがうまく表現されていたなと思いました。

 

 

答えがないのは分かってるのにまだモヤモヤするけど考えるのは楽しかったし、この授業のおかげか、ここ数日携帯を触らずに何か物思いにふけたりすることが増えたような気がします。

自分だけじゃチャレンジしないような様々なジャンルに触れることが出来て、色んな知識や経験を積むことができる機会があって良かったなと思います!知らないことが一番怖いです。

これからもっと日常に問いを抱いて考える事が出来たら良いなと思います。

 

平成最後のネタ探してたけどコレがいいや!

平成最後のブログおしまいっ!!